■ゼミが始まった。映像から離れるのか、近づくのか、どうなるのか。教授の考えている事、今やっている事が自分の今考えている事、やっている事と微妙にリンクしていたので勝手にテンションが上がった。ピクセルとデジタルに関する考え方っつーか。
今自分が興味あることはネットで氾濫する流れて増えて消えて拡大され縮小され、つまり陵辱されているといっても差し支えない画像達で、それをモチーフにしてアナログな描画でアプローチしたくて、そこには小林のりおのデジタル観が少なからず介在していて、橋本典久のミクロ視点を意識していて、伊藤剛のキャラ・キャラクターの話が引用されて、東浩紀の言うゲーム的リアリズムが参照される感じで色々影響はされているのだがとにかく現代を生きる上で様々な考えに影響された上でに真面目にらくがきがしたい、ということなのだがうまく言葉にできるんだろうか。 ■著作権と「マルC」 コピーライトに関する文章。画像とかの後についているCopyright ©なんたらっていうやつ。 ・日本国内におけるマルCの法的意味はない。 ・マルCは著作権者の許諾を得た印であるかのようなことを書いている人がいるけどデマ ・もし自分のホームページを、サウジアラビアやラオスの人にも見てもらって、そこでも著作権の保護を受けたいと思うのであれば、マルCを記載しておくと良い 超要約するとこんな感じか。 著作権が作品作ったと同時に発生する「無方式主義」の国とめんどくさい手続きが必要な「方式主義」のふたつがあるからめんどくさくなっているみたいで、マルCというのはそのふたつの方式をチャラにする免罪符みたいなもの?で、だけどもじっさいめんどくさい「方式主義」を取り扱っている国はアジアの少数の国なので日本でその意味も知らずにことさらそれを気にするのはおかしいということだろうか。 まあつけといて損はない、その程度だと思う。ネットに載せている時点で無限の増殖の可能性にさらされるんだから。 ■加藤一二三九段伝説 「一二三九段」という言語の並びからして只者ではないような気がする将棋士。 その数々の伝説が面白すぎる。 ・口癖は「あと何分?」、秒読みに入っても「あと何分?」「あと何分?」「1分です」「あと何分?」「1分です」「あと何分?」「1分です」「あと何分?」 ついにキレた記録係。 「1分だよ!」 記録係「20秒、1、2、3」 「あと何分?」「もうありません」 解説の森内氏も大爆笑 ・テレビ東京の30秒将棋に出場したときも「あと何分?」 ・他人の対局でも「あと何分?」 なんか面白いのを通り越して神秘すら感じる。生きて、勝負をすることがこの人にとっては表現行為なんだろう。名言がヤバイ。 ・「私から闘いを取ったら何が残るといえよう。勝負師である限り、命が尽きるまで勝負に明け暮れるのが棋士のさだめだ」 ・「振飛車に対する矢倉囲いは、私の経験上、そう簡単には潰れない」 ・「羽生将棋はダイナミックで豪華絢爛、なおかつ勝負強い。その勝負哲学は絶品といえる。 若手はパソコンで序盤を研究しているというが、実際に指してみると大したことないと思うことも正直多い。」 ・「引退するという気はかけらもない。まだまだ名局を指しつづけることができると思っている。 (他の棋士も)将棋を一生懸命指しているのは分かるが、もう少し精神的な深みを加えてほしいと思う。 」 ・「対局中一番動くのは羽生、二位が自分、三位が佐藤康光」 ・「まった、まった」 ・「っつモぴゅゥーーぐッパ」 ・「ぎょぎょぎょ」 ・「がきょっ」 がきょっ ■一行レシピ ツナの油を切って、わさび醤油に浸してご飯の上に乗っける。 さきいかをバターで炒めて死ぬほど七味をかける イカの燻製をオリーブオイルでマリネする なんて一人暮らしのにおいのするスレなんだ…悲しいかな実用的だ。保存した。けど実際やるのは目玉焼きをご飯にのっける。黄身を崩してから醤油をかける。半熟でどうぞとかなんだろうなあ。 ■ファーストフードの広告写真と実物写真を比較する 快適なパソコンライフをどこまでも追求していった人たちの写真 世界中のインパクトあふれる映画みたいな景色の写真いろいろ GIGAZINEの紹介する写真はおもしろいなー ■リカ旅ブログ リカちゃん人形がブログをやる時代だそうです。 ■魅力的な〈画体〉家~古谷実 表現者は、一度掴んだ読者層を放さないために作風を硬直化させるより、その時々に自分が切実に思いつめていることを描いた方がいいに決まっている。 ■&&&&&&&→ケツ痛い これはいいゲシュタルト崩壊だ。 ■CERO「A」ランクのための自主規制実例 ■人は8時間眠らなくちゃいけないの? ■ブラウザを見つめているだけで幸せになれると思ったのかい ■恵まれない人を見殺しにすると言うけれど ■「進学校的高校生オクテ派のストライクゾーンど真ん中」 ■「荷宮和子が「押しつけられた親密性競争」と題して〈普通の女の子に思われたいなら、いつも一緒にトイレに行く友達をキープしておかなければならないというプレッシャー〉について書いたことがある(荷宮『アダルトチルドレンと少女漫画』p.24~25)。」 ■ルフィ「海賊王に俺はなる!!!!」 ゾロ「じゃあ僕は警察官!」 ナミ「私はWEBデザイナー!」 ルフィ「職安行ってこよ」 ■綾波「私が死んでも代わりはいるもの」 ゲンドウ「いないけど」 綾波「ユニーク」 ■ 「僕はね、漫画の世界に生きているの。自分にとって漫画の世界はもう一つの自分の世界で、日常生活より漫画の世界に感情移入しているときの方が好き。見たことない作品をぜひ出していきたいね」 ■カメラなんて飾りですよ。写真家にはそれがわからんのです ■ネットでもリアルでも散々話題になっているアニメ「らき☆すた」を見た。二話目。 OPアニメが非常に話題になっていて、よー動くし電波な歌だしツボを抑えまくっていて観る前から変に期待していて絶対自分の趣向に合致しているアニメなんだろうなと思ってみてみたら本当にそうでした。メタ感覚が当然のようにあるオタク主人公の泉を筆頭にキャラ配置がハルヒに匹敵するレベルで効率的で同時に対立的、小気味い素早いカット変わり、主要キャラ以外の人物の極端な省略に加えて、涼宮ハルヒの憂鬱のOP曲がネタとしてゲーセンにある太鼓の達人もどきで流される程度の余裕とCDドラマとアニメで声優が総入れ替えしてる事を批判された事もキャラたちに「一粒で2度おいしい」と喋らせる事でやんわりかわす程の余裕を持ちかつ同時時間軸の中で異なる視点を複数フレームで見せる実験的かと思われる技法をかろやかに実用的なレベルで使用する京都アニメーションの技量はたいしたもんだ。毎週見る。 らき☆すた OP「もってけ!セーラーふく ■保坂和志の「猫に時間の流れる」を読んだ。 猫に時間の流れる 保坂 和志 丹念に淡々とした描写は相変わらず。この人の猫に対する思いは小説に対する思いと同じくらい執拗に深い。猫かわいーで終わらせない貪欲な猫愛が直接でなく間接的に、じわじわ描写している作者の文体からちょっとだけ見えるような感じで、なんだかおかしかった。 読みやすいんだか読みにくいんだかよくわからない。とりあえずもっと読もう。 ■谷川流の「涼宮ハルヒの分裂」を読んだ。 涼宮ハルヒの分裂 谷川 流 いとう のいぢ 「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズの最新刊。アニメの成功が少なからず原作である小説に影響を与えていることが確認できた。そしてこの作品世界がやっぱり学園物として魅力的なんだなあと再確認できた。「分裂」の方式はハルヒに対する諸評論の影響なのではと考えるのはかんぐりすぎだろうか。まさにゲーム的リアリズムを狙っている感じがして不安な気もするし楽しみな気もする。 ■そう、ハルヒとからき☆すたとか萌えアニメオタクきもいって拒絶反応起こしてしまう人には是非東浩紀の本を読んでほしいんだ。 ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 東 浩紀 「文学」が相手にしてこなかったアニメ、漫画、ゲームにおけるリアリティ、自然主義の既存のリアリズムに対するゲーム的リアリズムを提唱した読んでいて赤線引きまくりのアドレナリン抽出本。これを読んでいると読んでいないでは現代で生きる上(表現する上)で圧倒的な違いがある、それは隠蔽されてきたもうひとつのリアルを知らずに生きるか知って生きるかの違いで、ああヤバイ、まだ読み途中です。とにかくアニメ漫画ゲームそして文学を見る目が変わります。 ■仕事で絵を描いた。多分CMでちょろっと見える程度。疲れた。
by umelabo
| 2007-04-19 04:04
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